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2017年11月12日(日)開催決定

出演アーティスト

りんけんバンド

りんけんバンド

沖縄音楽シーンの先駆者“りんけんバンド”

90年代、デビュー作「ありがとう」のヒットから沖縄ミュージックシーンを牽引し続け国内はもちろんのこと、言葉や人種の壁も超越し海外でも高い評価を受けています。また、りんけんバンドの歌詞や音楽スタイルは文部省指定学校教材でも紹介されています。

言葉では到底言い表せないエネルギーの奔出、この上なく楽しく元気が出る音楽。

楽しさが後をひき、体験者の多くがリピーターになるという現象や、何も知らない幼児がりんけんバンドのCDに合わせて踊り出すといった自然な反応など、なにも構えず真っさらな状態で接する時にひき起こされる現象の根本は、同じことなのかもしれません。それは、りんけんバンドの音楽が持っている力、人を動かす力、身体の奥深くに直接響く根源的なもの、それこそが本来の“癒し”と言えましょう。普遍的な力の存在が確認できる“りんバン体験”をお薦め致します。

『りんけんバンド』はリーダーの照屋林賢が1977年に結成以来、三線、島太鼓などの沖縄の伝統楽器と、ドラムス、キーボード、べースなどの現代的な楽器を巧みに融合させ、「沖縄ポップ」といわれる新しい音楽のスタイルを追求しているグループです。オリジナルの全楽曲を林賢が作・編曲し、それらの詩曲が稀代の歌姫・上原知子によって歌われる時曲に生命が吹き込まれます。ポップで力強く、心躍る沖縄特有のリズム。清らかで美しく、心地よいメロディと歌声。歌詞はすべてウチナーグチと呼ばれる沖縄方言で歌われ、カラフルなコスチュームで勇壮な“エイサー”が踊られるステージは、華やかそのもの。そして、観客と一体となって繰りひろげられる“カチャーシー”は、南国の熱気一色。

沖縄のカルチャー<言葉と伝統芸能>を土台にしながら、“なんくる”(=自然なまま)に、そして自由奔放、積極果敢に音楽の世界航海を続けるりんけんバンドは、新たな出会いを待っています。

ホームページ http://www.rinken.gr.jp/

神谷 幸一  

神谷 幸一

かみや こういち

1947年、勝連町津堅島生まれ。

祖父がうた三絃をよくする人で、幸一は幼少の頃祖父の膝の上で、祖父のうたを好んで聴いていた。小学校5年の頃には三絃を弾けるようになり、中学校の頃には自作の三絃で島うたをよくしていた。

父親は、幸一のうた・三絃好きを快く思わず、父親に気付かれぬ様、うた・三絃をしていたという。

英語専門学校を卒業後、就職。
しかし、島うたがうたいたくて、民謡グループの一員としてステージに立つようになり、民謡界入りを果たす。

1970年、初レコーディング。

現在は自ら経営する民謡クラブ『花ぬ島』(沖縄市)を拠点に、地元テレビ・ラジオ等にも出演している。また、1991年、東京公演、1993年にアメリカ公演を行っている。

今までに6枚のアルバムをリリース。また、後輩の育成にも余念がない。

幸一の家族、一族の民謡好きは有名で、喜納昌吉の「花」をうたって人気を博した石嶺聡子・そして神谷千尋は姪である。 幸一の島うたレパートリーは幅広く、昔唄から新唄まで曲調も緩急の別なく弾きこなし、うたいこなしてしまう。 まさに島唄の名手であり、民謡の町コザの実力派と呼ぶに相応しい。

現在、琉球國民謡協会長を努めている。

饒辺 愛子

饒辺 愛子

よへん あいこ

1942年に大阪で生まれ、1962年、20歳の年に民謡界の大御所喜納昌永先生に師事。民謡三人組(女性歌手)を結成、当時の民謡界のアイドルとして出発し、1965年「なんた浜」をレコーディング。透き通った歌声で爆発的な人気となる。

以来、テレビ・ラジオ番組はもちろんのこと、地域行事には欠かせない存在となり沖縄をはじめ本土でも出演多数である。

ボランティア活動も積極的にこなし、前川守賢(ゲンちゃん)とコンビで行っている笑顔宅配便もおなじみである。

1988年「肝がなさ節」をレコーディング、不滅のヒット曲となっている。

前川 守賢  

前川 守賢

まえかわ しゅけん

昭和35年1月28日旧正月元旦生まれ。

命名されるまでの童名(わらびなー)が「元ちゃん」だったことから、そのまま愛称となり現在に至る。21歳のときオリジナル曲「かなさんどー」でデビュー。

2010年、芸暦30周年を記念に、前川守賢工工四大全集とアルバム「これからもかなさんどー」を発売。

島袋 辰也  

島袋 辰也

しまぶくろ たつや

1981年 沖縄市泡瀬生まれ

2008年3月、ファーストアルバム「飛〜トゥヌギ〜」をリリース。収録曲「アーシベイストリート」は2008年新唄大賞受賞曲。

2010年、知名定男に師事。

2014年、二代目定絃会より師範免許取得。県内外のイベント出演、ライブ活動に加え、2015年よりスタートした唄会「島唄継承」沖縄市ミュージックタウンをプロデュース。民謡界の若手を中心にテーマに沿った大物ゲストを迎え毎年12月に行われる。

野性味のある歌声と、若手ながら練られた三絃の技巧は聞く者を魅了する。

仲宗根 創  

仲宗根 創

1988年、那覇市に生まれる。3才頃より祖父の影響を受け、民謡を歌い始める

1994年、金城秀之氏に師事

1997年、松田弘一氏に師事

1999年、琉球民謡協会主催民謡コンクールにて新人賞受賞

2000年、照屋林賢氏プロデュースの民謡歌手オーディションでグランプリを受賞し、「アッチャメー小」でCDデビュー。全国放送TBS『日立 世界ふしぎ発見!』にて紹介される。

2001年、RBC「新春民謡紅白歌合戦」初出場

2002年、琉球民謡協会主催民謡コンクールにて優秀賞受賞

2003年、登川誠仁氏に師事

2004年、琉球民謡協会主催民謡コンクールにて最高賞受賞

2005年、山内昌春氏テープ「山内昌春作品集⑧」に参加

2006年、コザの民謡クラブ「なんた浜」にてレギュラー出演開始(2012年終)

2007年、「沖縄全島ナークニー大会」で最優秀歌唱賞受賞

2008年、登川誠仁氏アルバム「酔虎自在」に参加

2010年、登川誠仁氏アルバム「歌ぬ泉」に参加。コザを題材にしたアルバム「コザヒストリー・ソング コザのうた」に参加。

2012年、HIKARI氏アルバム「HIKARI」に参加

2013年、自主レーベル‘マルナカレコード’を立ち上げ、2枚目となるアルバム「歌ぬ糸」を発表。琉球民謡協会主催の民謡コンクールにて、「民謡大賞」受賞。全国放送NHK「SONGS」宮沢和史氏特集に、自身が開く民謡研究所が紹介される。ドイツのレコード会社「WINTER&WINTER」制作のアルバム『Uchina〜 Sounds of Okinawa Island〜』に参加。

2014年、クリスマスキッズソング『サンラークルーシュー』をプロデュース、発表(歌/クガナーズ  詞・曲/仲宗根創  編曲/石川一機)

2015年、1月 沖縄芝居「割符(わいふ)」地謡初担当、3月 琉球民謡協会より教師免許授与、「第26回新唄大賞」にて、自身作の『恋し生まり島』で作曲賞受賞(歌/糸数寛希  詞・曲/仲宗根創)、8月16日 「歌道15周年記念コンサート〜歌い福い〜」を沖縄(うるま市民芸術劇場響ホール)にて開催

HIKARI

饒辺 愛子

ヒカリ

1999年(平成11年)生まれ、沖縄県沖縄市出身、8歳の時に、かんから三線を手にしたのがきっかけで沖縄民謡を始める。

2012年6月に、アルバム「光・ひかり」でデビュー。

・琉球民謡協会・三線(最高賞)
・沖縄タイムス選抜伝統芸能選考会 琉球古典音楽太鼓(最高賞)
・琉球音楽協会・民謡筝曲定弦会(新人賞)

沖縄県内外でのライブ、イベントに出演するほか、テレビ、ラジオパーソナリティー、TVコマーシャル(住太郎ホーム)など数多くに出演中。

ティンク ティンク

ティンクティンク

沖縄を代表するアーティスト“りんけんバンド”照屋林賢がプロデュースする本格派女性ヴォーカル・デュオ。

波名城 夏妃
はなしろ なつき
(写真左)

1995年3月18日生、出身:沖縄県宮古島市

中学生から本格的に民謡をはじめ、2010年宮古民謡コンクール最高賞受賞。2015年12月ティンクティンク加入。

屋嘉比 奈々
やかび なな
(写真右)

1999年3月18日生、出身:沖縄県南風原町。

3歳から17歳まで子供舞踊集団「花わらび」に所属、国内外でのステージ経験は豊富。

南風原高校の郷土文化コースで沖縄の伝統芸能や文化を学ぶ。2016年12月新メンバーとして加入。

沖縄市芸能団体協議会

沖縄市芸能団体協議会

沖縄市芸能団体協議会は昭和57年9月に発足した古典芸能の団体です。

発足以来、沖縄の伝統芸能の継承と発展をめざし二年に一度の芸能公演や入賞者激励公演などの活動を展開してきました。また、沖縄市国際カーニバル、沖縄市産業まつり等沖縄市の行事にも積極的参加いたしております。

泡瀬京太郎 アワセチョンダラー

泡瀬京太郎

あわせ ちょんだらー

京太郎(チョンダラー)とは「京都から来た太郎」を指し、数々の芸を演じた門付け芸人とその芸能の意味。

琉球王朝の17世紀初期ごろ本土から沖縄に渡ってきたといわれ、明治初期まで中南部まで出かけ、祝儀には万歳を奏し、余興に鳥刺し舞や馬頭をつけた踊りを演じていた。また、人形を携えて人形芝居を演じ、家々で法事があるときには供養の念仏歌を歌っている。

泡瀬の京太郎(チョンダラー)は明治39年にコー(がん)の仕立祝・泡瀬ビジュルと川之毛の改修の祝いの出し物として泡瀬で上演されたのが始まりで、今年で105年を経過することになる。京太郎芸は、世界文化遺産としてユネスコ登録された「組踊」へ大きな影響を与え、田里朝直作品「万歳敵討」に類似性を見ることができる。

泡瀬の京太郎は、はじめの「早口説」で道行(みちゆき)の状況を表し、「扇子の舞」、「御知行の歌」を踊り、「馬舞者」の狂言で京太郎の笑い部分を表現し、最後に「鳥刺し舞」を踊り、敵をすっかり油断させ、仇をとるという筋書きである。

泡瀬の京太郎は昭和54年に沖縄市から、55年に無形の民俗文化財として県指定を、また平成17年には「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として」国選択を受けた。

泡瀬京太郎保存会では、昭和33年創立以来年には創立55年を迎えることになり、今後とも沖縄市・沖縄県を代表する無形の民俗文化遺産として、広く県内外への文化発信を行うべく日々の芸研鑽にまい進している。

園田エイサー

園田エイサー

そんだ えいさー

園田エイサーは、旧越来村西里集落(現:嘉手納基地内)のヤキマージエイサーが戦後園田に移り今に引き継がれているものです。

ヤキマージエイサー時代には男性だけのエイサーでしたが、1959年に名称を園田エイサーに変えると同時に女子の手踊りも加わるようになりました。実績としては1997年に全島エイサーまつりに変わるまでの21年間で7回の最多優勝を含め15回の上位入賞を果たしました。

特徴はテンポの早い曲に切れ目のない曲のつながり、大太鼓、締太鼓の力強いバチさばきです。それと同時に男手踊りは勇ましく、女手踊りは優雅な動きにも注目してほしいと思います。

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